1.脳は痛みをどのように感じるのか?
痛みとは、「実際に身体が傷ついた」または「傷つく可能性がある」状況で生じる不快な感覚や情動反応のことです(IASP定義)。一般に「痛い=体のどこかが悪い」と考えがちですが、実は「痛みを感じているのは脳」です。
痛みの伝達経路
痛みは、以下のようなルートで脳に伝わります:
- 侵害受容器(皮膚や筋肉などの神経末端)が損傷を感知
- 末梢神経を通じて脊髄後角へ
- 脊髄を上行して視床へ到達
- 最終的に大脳皮質(体性感覚野)で「痛み」として認識
このように、痛みは感覚だけでなく、情動・注意・記憶とも密接に関わる複雑な脳のネットワークで処理されています。
2.脳が痛みを覚えている?
「昔のケガの痛みを思い出す」「痛みがないのに痛い気がする」ことはありませんか?これは脳が痛みを記憶していることに関係します。
痛みの記憶と中枢感作
慢性的な痛みは、中枢神経系が過敏になる「中枢感作(central sensitization)」という現象によって持続します。これは、本来痛みを感じないような刺激にも痛みを感じてしまう状態です(Woolf CJ, 2011)。
脳は繰り返しの痛み刺激によって、神経回路を“痛みに反応しやすい”状態に書き換えることがあり、結果として「痛みを覚えている」=痛みの記憶が生じます。
3.幻肢痛と脳の関係
幻肢痛とは、手足などの身体の一部を切断した後にも「存在するかのように痛みを感じる」現象です。これは、実際に損傷された部位ではなく、脳の神経回路が原因で痛みを生じていることを示しています。
脳の可塑性と幻肢痛
MRIなどの研究では、脳の感覚地図(ホムンクルス)が切断後に再編成されることがわかっています。たとえば、腕を失った患者の脳では、顔を触ると腕の幻痛が誘発されることもあります(Ramachandran VS, 1993)。
幻肢痛は、痛みが「身体の損傷」に依存しないこと、そして「脳」が痛みの源であることの代表例です。
6.脳だけで痛みを感じる?
実際にケガや炎症がなくても、脳だけで痛みを感じることがあります。
機能性疼痛・心因性疼痛
これには以下のようなものがあります:
- 機能性疼痛症候群:検査で異常が見つからないが痛みが続く
- 心因性疼痛:ストレスやうつ、トラウマなどが引き金
こうした痛みも「ウソの痛み」ではなく、脳の異常な興奮や誤作動によって「本物の痛み」として体感されるのです。脳の「扁桃体」や「前頭前野」など情動に関わる領域が深く関係しています。
7.線維筋痛症と脳の関係
線維筋痛症(fibromyalgia)は、全身の慢性的な痛みや疲労感、不眠などを特徴とする疾患で、検査では明らかな異常が見られません。
中枢感作との関連
最新の研究では、線維筋痛症は「中枢感作」が根底にあると考えられています(Clauw DJ, 2014)。つまり、
- 痛みに過敏になる神経回路が形成されている
- セロトニンやノルアドレナリンの神経伝達物質の異常
- 睡眠障害やストレスが痛みの感受性を高める
などが複雑に関与しています。
機能的MRI研究の知見
線維筋痛症の患者では、痛み刺激に対して健常者よりも大きな脳活動(特に島皮質や前帯状皮質)が確認されており、脳が過剰に痛みを認識していることが示唆されています。
8.痛みの対応について
痛みは単なる身体の症状ではなく、「脳」が関与する生物・心理・社会的な現象(bio-psycho-social model)です。そのため、以下のような多角的アプローチが重要です。
身体面でのアプローチ
- 薬物治療(NSAIDs、プレガバリン、抗うつ薬など)
- 運動療法(ストレッチ、リハビリ)
心理面のアプローチ
- 認知行動療法(CBT):痛みに対する思考を見直す
- マインドフルネス瞑想:注意の向け方を変える
社会的要因への配慮
- 周囲の理解
- 就労支援や社会的孤立の解消
痛みの再定義
患者自身が「痛み=壊れている」ではなく、「痛みは脳の誤作動である可能性もある」と認識することが、痛みに対する不安や恐怖の軽減につながります。
9.参考文献
- Woolf CJ. Central sensitization: implications for the diagnosis and treatment of pain. Pain. 2011;152(3 Suppl):S2–S15.
- Ramachandran VS, Hirstein W. The perception of phantom limbs. Brain. 1998;121(9):1603–1630.
- Clauw DJ. Fibromyalgia: a clinical review. JAMA. 2014;311(15):1547–1555.
- Apkarian AV, Hashmi JA, Baliki MN. Pain and the brain: specificity and plasticity of the brain in clinical chronic pain. Pain. 2011;152(3 Suppl):S49–64.
- Tracey I, Bushnell MC. How neuroimaging studies have challenged us to rethink: is chronic pain a disease? J Pain. 2009;10(11):1113–1120.
- Melzack R, Wall PD. Pain mechanisms: a new theory. Science. 1965;150(3699):971–979.(ゲートコントロール理論)